人生という壮大な映画。その全てに神の意識が宿っているとしたら

自分自身の人生、私はなんのために生まれてきたのか?自分の役割は?
そして自分自身の本質を存分に活かし生きていく人生にしたい

こんなことを感じている方も最近では増えてきているのではないでしょうか?

そして「宇宙」や「神」と呼ばれている存在などからのメッセージを受け取っていきたい!と思った時に、こんなことを感じてみるといいかもしれません。

何か意識が開く、変わるきっかけになるかもしれません。

 

私たちが目の前の出来事やマインドを通してみているものは、映画の一部、ストーリーでしかありません。
映画にはメッセージや制作者の思いや意図が込められている。
では、目の前の出来事や私たちの人生という壮大な映画に込められているメッセージは何か?
意図は何か?そこにある意識は何か?

この視点に立つことで、
その目の前の出来事や映画のストーリーから少し距離を取って、冷静になることができるかもしれません。
私が、ライフワークとして真摯に取り組んでいる「瞑想」を通して、全身で理解したことは、
「すべてに私たちの計り知れない何かの意識が宿っており、
そこには私たちがそれに気付こうが気付かなかろうが、確かに何かが流れていて、脈動している」ということ。
それを、人は「神様」や「宇宙」と呼ぶのかもしれません。

大切なことは、マインド(思考・頭)では計り知れないものだけれども私たちのハートはそれを感じることができる、ということ。
どんなもの、ことにも、私たちは本来、意識次第で
その意識やエネルギーを感じ、見出だすことができる。
どんなもの、ことにも神様の意識が宿っている。

それは、愛そのもののように感じます。

人間の本質は、愛
そう思うと、なんだか人間として生まれてきたことを、嬉しく思いませんか?

人間として、今の制限の多い世界に生まれ、たくさんの試練・困難を越えながら、私たちの生の源、意識の源へと戻っていこうとする私たちのチャレンジに思いを馳せると、なんだか自分が愛しくなりませんか?

 

そう。

目の前のあの人も、その同志。

みんな、同志です。

 

私たちが感じる制限も、思い通りにならない現実も、嫌なあの人も、人生で経験してきた酸いも甘いも。
そのすべてに神様の意識が宿っている。
そのことをクリアに思い出すには、思い出すことを妨げているものをリリース・浄化していく必要があるけれど。
まずは、自分自身の本質が愛であることをハートで知ること。
なぜなら、神様の意識を感じることができるのは、マインドではなくハートだからです。マインドは、役割が違うからです。

そしてその時例え、愛が浮かばなくとも、自分のこと、誰かのこと、目に見えていることを愛だと思えなくても。

なぜならそこには、神の意識が宿っているのだから。

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